日中のかけはし−愛新覚羅溥傑家の軌跡− 関西学院大学博物館


日中のかけはし−愛新覚羅溥傑家の軌跡−

関西学院大学博物館
2017年6月5日 (月)〜7月22日 (土)

 関西学院大学博物館は2013年10月に、愛新覚羅溥傑(1907-94)と嵯峨浩(1914-87)の次女である福永嫮生氏より、愛新覚羅溥傑家に関わる手紙や写真、書画などの貴重な資料を受贈(一部受寄)しました。これをうけて、2015年5月〜7月に企画展「愛新覚羅家の人びと–相依為命–」を開催し、好評を得ることができました。
 溥傑は清の皇族として生を享けました。兄は清朝最後の皇帝で、後に「満洲国」皇帝ともなる溥儀です。溥傑は、清朝再興を望む溥儀のもと、軍人として兄を支えるため、同盟国である日本の陸軍士官学校に留学します。一方、溥傑の妻となる浩は、昭和天皇の遠戚にあたる華族の令嬢でした。
 この二人が、当時としては稀な国際結婚に至る背景には、軍部の関与がありました。軍部による満洲の支配強化、延いては二人の間に生まれるであろう子に、「満洲国」の皇位を継承させる目論見があったのです。政略結婚ではあるものの、ここに溥傑一家による最初の日中のかけはしが生まれたのです。しかし、この結婚が溥傑一家を数奇な運命へと誘います。
 終戦の際に、溥傑はソ連軍に捕らえられ、後に中国へ送還されます。一方、浩は次女の嫮生と共に一年数ヶ月に及ぶ中国での流転の旅を経て、日本に帰国します。溥傑一家は離散してしまい、日中のかけはしとなる願いは途絶えるかに思われました。しかし、再び一家を結ぶべく、長女慧生が日本と国交のなかった中国の首相・周恩来に、溥傑との手紙のやり取りを請願します。文通が許可され、中国で収監中の溥傑と日本で暮らす浩たちに小さなかけはしが復活したのです。以後、溥傑の釈放や家族の再会、溥傑の中日友好人士訪日代表団団員への就任などを経て、一家は日中のかけはしとなる思いを再確認します。後年、溥傑は平和の大切さとともに、日中友好のかけはしとなることが溥傑一家の使命であると述べています。
 今回の企画展は、前回の企画展出品の資料以外のものを中心に、激動の時代を生きぬいた溥傑一家の軌跡をたどります。特に日中のかけはしとなるべき思いのこもった書簡や漢詩等を展示します。また、「満洲国」の時代を中心に、満洲ツーリズムに関わる資料(旅行案内書、地図など)を通して、溥傑一家以外の人々の満洲への認識についても触れます。これらの展示から、日中のかけはしになろうとした愛新覚羅溥傑家について考えていただきたいと思います。

museum.kwansei.ac.jp